2012年
4月30日、月曜日。
夕方5時。
福岡市、中洲川端商店街の
すぐ近く、
リノベーション
ミュージアム冷泉荘。
この冷泉荘で、
熊本県水俣市にある、
村おこし施設、愛林館が
イベントを開催。
愛林館は、
私の高校時代の友人が館長。
沢畑亨君。
東京大学農学部系大学院を卒業後、
32才の時、全国公募で
愛林館の館長になり
水俣に今も在住。
何度かこのブログでも紹介しています。
過去ブログ「美しい棚田の友人」。
過去ブログ「上流社会の友人」。
今回のこのイベントの目的は、
「水俣・久木野における棚田保全と
冷泉荘を中心とする都市住民との
協働の可能性と展望」。
ちょっと硬いけど、
要するに都会の人たちが
如何に田舎と関われるかということ。
これって、「棚田保全」を
「酒蔵保全」にかえても充分通じる。
蔵に来て頂いて、
是非続けてくださいねと
励まして頂くけれど、
エールだけでなくて、
実際にお酒を
買ってねっていうこと(笑)。
この日の私の
最大の目的は、
水俣の棚田米目当て(笑)。
とてもおいしい。
最後に告知。
明日は、5月19日。
水俣・久木野で
愛林館主催の
「棚田のあかり」イベント。
田植えの水が
張られた棚田に
たいまつが輝く様は
まさに幻想。
私も行きます。
昨年は、顔が見えたとたん不覚にも涙目になってしまいましたが、暗くてよくわからなくて助かりました。
今年はあらかじめわかっているので、涙目にはならない予定です。雨も降らないようで、楽しみです。お待ちしておりますね。
沢畑くん
コメントありがとうございます。
お天気もいいようですので、楽しみに今日はやってきます。
江崎俊介
昨夕は棚田のあかりで再会でき、嬉しかった。
朱雀くんも参加していたそうだけれども、ついに見かけなかっただけに、よくぞ我々夫婦を見つけてくださったものです。
ゆっくり茣蓙の上に座って、暮れゆく景色とともに輝きをます2000本のたいまつの炎を眺めつつ、交わした会話はことのほか印象的でした。
エサを蔵開きの喧騷のときしか接した事がなかった家内が、彼女が語る山が何重にもかさなって織りなす風景描写をしっかり受け止めてくれたのを、とても喜んでおりました。
4月30日の福岡市(冷泉荘)のイベントといい、友人のためにどこにでも駆けつける人柄にも感服しておりました。
昨年は雨中のイベントだったそうですね。沢畑くんの涙は、雨のせいということにしておきますか。
PS 山の端と山際
山と空の境界付近の山側が”山の端”で 空側が”山際”のようです。
この解釈で清少納言の枕草子もほぼ納得。
有名な冒頭の(一段)
春は曙(あけぼの)。やうやう白くなりゆく山際(やまぎわ)、
(二二七段)
日は 入日、入りはてぬる山際に、ひかりの猶とまりて、赤う見ゆるに、うす黄ばみたる雲のたなびきたる、いとあはれなり。
§ この2つなんかはピッタリですね。
(二二八段)
月は 有明。東の山の端に、ほそうて出づるほどあはれなり。
§ これは”山際に”の方が自然な気もするけれど。三日月が完全に宙に浮かず、山から角を出したような状況(月の出始め)を想定するなら、月は山の端と山際の両方にまたがっている訳なので これでいいのかな??
先だっての葉祥明さんの作品の解釈談義同様、芸術家というのは、直感やインスピレーションで一番適確という言葉を選び取るものだろうから、杓子定規な論理的な解析そのものが、興ざめなんでしょうけどね。
岡村くん。
コメントありがとうございます。
昨夕は水俣・久木野で会えてよかった。
FACEBOOKにも書いたけれど、2000本の棚田の灯りを見ながら、
山に座り込んで、岡村くんご夫妻と話せたことは、
貴重な宝物となりました。
本当に行ってよかった。
「山の端」と「山際」談義も楽しかった。
刻一刻と山の稜線が際立つ様は、
なんとも言いがたい時間を共有できたね。
江崎俊介
江崎くんが仰る通り、同感です。
普段の自分自身の生活パターンとは全く違った ああいう環境に身を置いて
旧友と語り合えたのは、(いつも素晴らしい事を語ってくれるんだけど)
普段以上に心に染みいりました。
朝昼食抜きにさせてしまい、それでも点灯式に間に合うように愛林館に直行
する判断をした僕に、車中で大時化の波濤のようだったカミさんも
あの景色のおかげで(あるいは点灯式付近で販売されていたサモサと
よもぎ饅頭の効果で?)凪のように静まった(笑)
岡村くん。
コメントありがとうございます。
それは大変でした。
くれぐれも奥様をご自愛くださるように。
江崎俊介