2015年6月13日、土曜日。
午後2時。 菊美人の蔵にて。
菊美人の蔵の玄関先に
「扁額」を飾りました。
書家は、江﨑潮氏。
母の兄。
小さい頃の私の習字の先生。
みやま市美術協会の会長。
「金尊酒、きんそんしゅ」と
読みます。
「尊」は「樽」、「酉」は「酒」と同意。
甲骨文字での揮毫です。
「金尊酒」とは、
「黄金の樽(盃)に
たたえた酒」という意味。
李白の将進酒(しょうしんしゅ)
からの引用。
李白は泥酔の詩人。
「李白一斗詩百篇」
とは、杜甫。
李白は一斗の酒を飲み、
百もの詩を作る。
あ、余談ですが、
なぜ扁額は、
右から左に書いてあるのでしょうか。
不思議だと思いませんか。
そもそも古来から、
漢字は(仮名も)横書きでなく、縦書きです。
「たて書きで、
右から左へ書く」のが基本。
扁額は
「一行一文字のたて書き」
なのです。
目からうろこですね。
扁額は
「一行一文字のたて書き」はたいへんインパクトがありました。
まさに目からウロコ。
最近、菊美人のHPを東京の友人にご紹介したところ、自ら蔵元日記もご覧くださって、この扁額の話をとても感心していらっしゃいました。
要は五言絶句と基本構造は似ているという風には、なかなか気づきにくいと思います。
岡村くん
コメントありがとう!
「一行一文字の縦書き」の話は、楽しいよね。
漢字文化は奥深くて、興味がつきないよ。
来月、北京への出張があるから、
また楽しい話、仕入れてくるね。
ところで五言絶句との類似点って何?
今度飲み会の時にでも教えて。
江崎俊介
漢詩は専門家でもなんでもないので、実に底の浅い連想です。
次の飲み会まで持ち越すような高尚な話でもないので、ここに書きます。
五言絶句は御承知のように、かなりリジッドに形式が制約されていますね。
押韻とならび、そういう制約の代表的なものの1つ、平仄という言葉が浮かんだのです。
五言絶句では二文字目が平仄仄平(○●●○)か仄平平仄(●○○●)でなくてはいけません。
これが律詩になると(○●○●)か(●○●○)で、明確なパターン化がされています。
http://kansi.info/sahou/kiso7.html
漢方、卦などを始め陰陽という考え方が東洋にはありますから、
「金尊酉」という”一行一文字”の扁額は平仄取り混ぜてあるのではないかという仮説を立てて調べてみると、
「金尊酉」は○○●、酉を酒に変えても●でしたから、これは必然的な漢字の選択だろうと確信を深めた訳です。
扁額の言葉で知っているものは、浅学でたかが知れていますが、
筥崎宮の「敵國降伏」は(●●○●)
櫛田神社の「自偏」は(●○)
西太后による「鴻基惟永」は(○○○●)
でいずれも平のみ、仄のみというものはありませんでした。
そこまで確かめて、さきほどのコメントをしたものです。
底の浅い議論でたいへん申し訳ない。
PS
李白の”白髪三千丈”で有名な【秋浦歌】という五言絶句は、
白髪三千丈
縁愁似箇長
不知明鏡裏
何処得秋霜
2番目の文字、髪愁知処が(●○○●)となって形式に則っていますが、
別のメジャーどころの【静夜思】は、
牀前看月光
疑是地上霜
挙頭望山月
低頭思故郷
で、2番目の文字、前是頭頭で(○●○○)と平仄だけに注目するなら見事に破格になっています。
人生自体も波瀾万丈のイメージのある李白らしいなと思いました。
こういう文学的なブログ記事のおかげで、普段触れることのない漢詩に接する機会をいただきました。ありがとう!!
岡村くん
了解です。李白の詩も披露してくれてありがとう。
絶句と律詩の違いなど、高校時代を思い出しました。
漢文の恩師、清藤先生の吟ずる声を思い出しました。
江崎俊介
文系の雄・江崎くんと2人で飲むときならいざ知らず、飲み会の場でやる話題としては憚られたので、ここで済ませました。
酒と言えば李白の連想は強烈とはいえ、五言絶句の名手はいくらでもいる中で記事に合わせて李白の作品を選んだところまで汲み取っていただき、ありがとうございました。
清藤先生の授業は大好きで、おかげで漢文は非常に好きになりました。
授業中、健脚自慢で油山まで一気に駆け上る話だとか、本質的に真面目な老先生でしたが、こういう遊び心も取り入れた授業なのも素敵でした。