2013年12月某日。
福島県への酒造研修の折り。
会津銘酒「末廣」、
嘉永蔵にて、研修、見学。
末廣酒造は、創業1850年。
当主は、七代目、新城猪之吉氏。
「猪之吉」は、代々の襲名。
新城家の素封家ぶり、
度肝を抜かれた。
松平容保(かたもり)、
野口英世、
徳川慶喜の直筆の書。
会津若松に行ったら、
必ず嘉永蔵をおとなうべし。
中でも松平容保公の扁額には、
目を奪われた。
京都守護職まで勤め上げた容保公。
容保公の功罪を語る歴史家は多い。
歴史の結果をもって、
原因を語るのはそもそも卑怯だ。
どのくらい卑怯かというと、
経済評論家が成功の秘訣とかいって、
成功した人を褒めそやすのと同じくらい。
もしくは、宝くじに当たった人に、
当たる秘訣を聞いて、
みんなに買えとあおる
財団法人日本宝くじ協会と同じくらい卑怯くさい。
意図をもって世の中を悪くしたい、
なんて思う人間はいない。
「歴史に成功と失敗はあっても、
善と悪はない」とは、
浅田次郎だったか。
後日談だが、最近東京にて、
所蔵家の新城社長に、
容保公の評を伺うことができた。
「会津には、容保公のことを
悪く言う奴はひとりもいねぇ」だそうだ。
墨痕淋漓(ぼっこんりんり)。
淋漓たる墨痕とでも
いうのであろうか。
扁額の筆の勢いに
容保公の背筋の様を見る思いがした。
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