9月6日。
私の中学校時代の英語の恩師、
宮崎充保先生(現、山口大学教授)から、
葉書が届きました。
先日の同窓会にご参加頂いた
私からのお礼の葉書に対する葉書です。
中学3年間の英語の先生。
「それぞれにみんな、
幸せと不幸せをまぜて、
明るく生きている。
よかった!」
48才にもなると、
全てが順風な人生とは
限らないものです。
楽しいこともつらいことも
ふくめて、その中で
みんな明るく生きている
ことを感じて頂いたのだと
思います。
こころに沁みた
宮崎先生からの葉書でした。
写真は先生から
「読んでごらん」といわれた
「ルバイヤート」と、
宮崎先生のサイン。
自分のことが書かれて、また、そのまま現れてしまって、少しばかり戸惑います。言葉が、一人歩きしないで、こうしてわかってくれる江崎くんのような人がいて、好意的に解釈してくれて、わたしはあの集まりの晩のように戸惑いながらも、幸福感を感じます。
もう、悩みなんかいい、脳天気と言われてもいいから、幸せな時間を過ごしたいと願います。そのためには、本当に確かなそして本物の“自分の世界”を作らないと難しいですね。自分の世界など、結局は苦しい道を選ぶのと同じかも知れませんが、早春の暖かさ、五月の光の明るさを懐かしく思うような世界だという感じがします。私はコンピューターを抱えながら、もう、辞書はいくらでも、インターネットを利用できるので、それに頼ることにして、本を抱えて、呻吟することもあるけど、やはり、懐かしいと思う、おそらくこれが自分の世界に近い世界だろうと期待している世界へ、競争だの、グローバル化だののうるさい言葉から抜け出して、逃避します。
宮崎充保先生
コメントありがとうございます。
実はこのブログ、すくなからず反響がありました。
同級生の古賀勝彦君は、先生のこの言葉を手帳に書き写して
いるそうです。
「この葉書、江崎にとって宝物やね」と言われました。
また、私のブログを読んでいる方々からは、
心に沁みたとか、涙が出たなどのお言葉をいただきました。
みな、真摯に生きているからこそ、
先生のこの言葉が琴線にふれたのだと。
「自分の世界」ですか。
みな、この高みに到達することを願っているからこそ、
この現実の「うるさい世界」で生きていけるのでしょうね。
先日、古希に近い先輩から、
人間は50代が勝負と励まされました。
現在49歳、まだまだ頑張っていきたいと思っています。
先生もご自愛下さい。
江崎俊介
江崎くん
ぼくは50歳を過ぎてしまいましたが、50歳は確かに意味ある10年ですね。
ぼくは、その年で世界のことを考え出しました。また、それが任務でした。
それでも、お前は何をするために生まれて来たのだ、と問われると、
自分のことばでは答えられませんでした。
50代というのは、ひとのことばを借りたり引用したりも多いし、かと言って、
ちょっぴり、自分のことばも使えるようになるようです。
それが「自分の世界」の入り口かも知れません。
その意味では、50代の10年は意味がありますね。
50代は世界を考え出したと言いましたが、現実形はインターナショナルな付き合いでしょうが、
グローバルなものが何か、“わかりかける”というものでしょうか。
自分を自分の社会のなかでわかろうとしても、また自分の社会を自分の社会の中でわかろうとしても、
自分の国を自分の国のなかでわかろうとしても、何も見えず、わかりません。
地球の外へ意識が飛べば、地球がグローブであり、国境線など見えないことが見えるのですね。
ぼくは、北京から飛行機にのり、大連上空を通り、北朝鮮の西側を通って、
インチョンのすぐそばを通りソウルを上空から見下ろし、
韓半島を対角線上に下り釜山上空へ抜け、そして福岡へまっすぐ…と、
というところまで、国境線など一本も見ませんでした。
淡い空気の下に見える、緑と土色の大地と街、町でした。
線を引くために生まれて来たのでしょうか。線を消すために生まれてきたのでしょうか。
50代はそんなこんなでした。
語り出したらきりがありません。
でも、自分のことばで語ることができるようになる60代を迎えるには、
きみの50代をしっかりがんばって、自発的に出る己のことはで語るように、生きてください。
そのことばは全く「自分の世界」だと思いますよ。
宮崎充保先生
コメントありがとうございます。
長文でのコメントありがとうございます。
最近の附設の同級生でのメーリングリストでは、
70代後半になった父母の話、
大学生・高校生になった子どもの話など、
家父長としての話がよく話題になります。
50代になれば、ますます増えるのでしょうね。
そして、自分の仕事、ライフワークについても、
円熟の時代になるのだと思います。
50代をしっかり生き抜きます。
江崎俊介